携帯電話が 盗まれた!!

携帯電話は どこにいった?

私はフィジーに滞在した半年の間、政府官舎に住んでいました。

私が入居してすぐに、何年かに一度のメンテナンスが入りました。

タイルを貼り替えたり、屋根を直したり、タイルを貼り直したり色々していました。

その作業の中で、部屋のペンキ塗りが最初でした。

ペンキ屋さんは50歳ぐらいのオヤジさんで、16歳の若い見習いを連れてきました。

昼前、私は仕事がなかったので、その見習い君と話して仲良しになりました。

ペンキ塗りは約2週間で終わり、その最終日に見習い君と「サヨナラ」をしました。

その翌日は、ナンディというこの島の反対側の町に出張だったので荷造りをしていました。

そのとき

 

「はっ!!!!!???????」

 

日本から持ってきた携帯電話が、どこにもないことに気が付きました。

どこを探してもないので、人を疑うのは嫌だったのですが直感で、犯人はあの見習い君だなと思いました。

どうやらお別れのプレゼントとして、私の携帯電話を勝手に持っていってしまったようです・・・。

インド人の責任者に電話をしたら、

「今は友達とビールを飲んでいて、パーティーをして楽しんでいるから、また明日!」

とインド人特有の巻き舌のよくわからない英語で電話を切られました。

仕方がないので信頼のおけるお隣さんにあとのことを任せて、日本の実家に国際電話をして解約してもらい、翌日私は出張に出ました。

3日間の出張から帰宅すると、お隣さんとインド人の責任者がやって来ました。

インド人の手には、私の携帯電話が握られていました。

インド人はあの若い見習いを探して

「携帯電話を返さないと警察に通報するぞ!!!と脅したら、しぶしぶポケットからバッテリーの切れた携帯電話を出した」

と教えてくれました。

「中身のデータが消されてないか確認してほしい」

とインド人責任者が言うので、私は携帯電話にコードを接続して電源を入れました。

すると

 

 

ジャジャジャジャーン!!!

犯人である見習い君の写真が、なんと!待ち受け画面になっていたのです。

↑この写真、実物です。

それにしても、すばらしい構図。

この待ち受け画面を見た瞬間、みんなで大爆笑しました。

その他、データは消されているものはありませんでしたが、増えたものがたくさんありました。

まず、日本語設定を巧みに操作してバイリンガル設定で英語になっていました。

犯人とその友達が、すごくハッピーで弾けた感じで写った写真が20枚ぐらい記録されていました。

携帯電話をラジオに近づけて録音したと思われる、フィジーで流行の歌が11曲も入っていました。

私よりも使い方を知っていました・・・。

私は、見習い君を怒る気にはなりませんでした。

なぜかというと、日本の常識なら盗った人が悪いということになりますが、協力隊ルールでは、そんなところに置いておいた人も悪いということになるからです。

犯人の手から帰ってきた逞しい私のガラパゴス携帯は、今はスマホに取って代わりもうどこにあるのかわかりません。

今から思うと、盗まれた携帯電話が返ってくるなんて奇跡です。

いい思い出ができました。

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。