ジェームズコズボーの証言(第4章・前編)

転載元:ただのメモ帳

第4章は長かったので前編と後編に分けました。こちらは「前編」です。

[原文Chapter4]はこちら

1934年パナマでのグレイおよび米国政府/ UNIT条約の時、UNITはレプティリアンETが米国西部の共同地下施設へ秘密潜入したことに関与していました。

これらの施設の多くはインディアン居留地の地下に隠されていて、主要な施設はネバダ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州とユタ州にありました。

この時点からレプティリアンは13年ごとに大勢で地球に来ました。

1934、1947、1950、1963、1973、1986、1999年と。そして2012年は多くの知人が最後のドラコレプティリアン侵略の年かもしれないと言うのですが、私は確信に至ってません。

1986年白色のドラコ君主(Draco Prime)が、地球ではヘール・ボップ彗星として私たちが知る「小惑星」に乗ってこの太陽系にやって来ました。

ドラコ君主はドラコ連合星系の惑星テュポンからきて、彼らが「Sol-3」と呼ぶ地球を乗っ取る方法を確認しながらやって来ていました。*1

ヘール・ボップはコントロールされていたので軌道を変更していて、その後ろにある物体と一緒に撮影されましたが、この物体はドラコ君主の母船でした。

私たちは危険を「感じる」ことができるテレパシー的な生き物なので、ヘール・ボップは人間集団に大きな混乱を扇動しました。

これは主流メディアで報告されたヘヴンズ・ゲート教団の信者の集団自殺で顕著でした。

彼らはヘール・ボップにエイリアンの宇宙船がついてきていると述べました。

私がNSAの知人、X3と呼びますが、彼に言われたのは、ヘヴンズゲートはアメリカ諜報機関のトラウマベースのマインドコントロール下にあって、ボビー・レイ・インマン提督はカルトメンバーにOmegaオルターを誘発する指示をしたということです。

諜報界の多くの人は私がボビー・レイ・インマンという名を出すことにいい気はしないでしょうが、真実はもう表に出ています。

Omegaはマインドコントロールの被害者に自己破壊・自殺を引き起こすことができるオルター(洗脳・プログラミングされた人格)です。

これを行う理由は、ヘール・ボップの背後にエイリアンの宇宙船があるという話の信用を無くし、宗教的な狂乱のように見せかけるためだと思われます。

X3はヘヴンズゲートカルトには元NSAや業界でもトップレベルの洗脳者がいたと言いました。

1997年にサンディエゴの彼らの邸宅で自殺をしたカルト信者の何人かはその前に去勢するように「納得させられていた」ので、彼らはとても高度な洗脳者だったに違いありません。

彼らはまた大いにヨガ、気功瞑想、特殊な食生活をしていました。

これによって彼らはヘール・ボップ彗星の背後のドラコ母船とテレパシー的なコンタクトをしていたとX3は言います。

彼はまたボビー・レイ・インマン提督がHotshotを命じたと言いました。

Hotshotとは眠っている人にマインドコントロールするスカラー波武器攻撃です。

邸宅の外にNSAのエージェントを載せた白いバンを停めて、そこから周波数発生装置を使って眠っているヘヴンズゲートの人々を遠隔で誘発したようです。*2

以下の情報はダン・エイクロイドの友人であるアメリカの諜報団体の知人、X13によるものです。

彼曰くヘヴンズゲートの人々はDARPA(国防高等研究計画局)と、現在インターネットを管理しているSAICという政府グループと関わりがあったそうです。

カルトメンバーの何人かは高度なコンピュータープロジェクトに関わっていて、ウェブサイトを作った人もいました。

ビバリーヒルズのコンピューター実業家(元車泥棒)のNick MatzorkisはWorld Wide Webを設計するために十数人のカルトメンバーを雇いました。

ニックは邸宅で遺体を発見した男性の一人でした。

さらに彼はUS Search.comと呼ばれるインターネットベンチャーに5400万ドル支援しました。

それから彼はパートナーと共に中国に会社を設立しました。

そのパートナーとは他でもなくニコラス・ロックフェラーです。

彼らの会社はGlobal Agoraと呼ばれる中国で最初に設立されたアメリカ会社のひとつです。

ヘヴンズゲートグループは地下集合住宅を始めましたが、より効率的に監視できる場所へ強制的に移動させるために建設は途中で「中断」させられました。

X13はまた、ボビー・インマンのヒットマンがカルトメンバーを自殺させたのはヘール・ボップの背後のエイリアンの宇宙船の報告の信用を落とすためと、ヘヴンズゲートの人々は諜報機関がインターネットユーザーを密かに監視することをできなくする暗号化プログラムを持っていたためだったと言います。

ボビー・レイ・インマンはCIAの元重役、NSAの元リーダー、元海軍大将で、かつてクリントン推薦の防衛長官でした。

ボビー・レイ・インマンとカルトメンバーの死の関係について情報が載っているウェブサイトは最近ネット上から消えました。

イラク移民であるSam Koutchesfahaniはサンディエゴにある数百万の邸宅をヘヴンズゲートグループに貸したと報告されている男でした。

カルト信者はドラコレプティリアンが地球に戻ってくるという映画の脚本を作成しました。

NSAはこの映画を作られたくなかったし、これはボビー・インマンの(ヘヴンズゲートの人々を殺すという)判断に繋がりました。

ロックフェラー家はこの惨事に関係していて、レプティリアンの話を大衆をコントロールするための手段として利用することに関心を持っています。

ロックフェラー家は1938年10月30日のマーキュリー・ラジオネットワークでの「宇宙戦争」(というラジオドラマ)の放送に関わっていました。

オーソン・ウェルズの放送は単なるショービジネスではなく恐怖に関する実験でした。

その放送はエイリアンのニュースに対する国民の反応を試すためのテストでした。

放送を聞いた反応の結果としては、大規模なパニックが起こり、ある男性は自殺しました。*3

ロックフェラー財団からプリンストン大学への助成金はプリンストンにラジオ研究機関を作る助けになりました。

取締役はオーストラリアのユダヤ移民で社会心理学者のポール・ラザースフェルド(Paul Lazarsfeld)でした。

彼は二人の仲間と共にチームを組んでいました。

心理学者ハドレー・キャントリル(Hadley Cantrell)とCBSの研究者フランク・スタントン(Frank Stanton)です。

フランク・スタントンは心理学の博士号を取得して、最終的にCBSの社長になりました。*4

穏やかな昼過ぎに、ある男がきれいに並んだ39人のカルト信者の遺体を発見しました。

ニックでした。

彼は瞬く間に有名になりました。

すぐに彼はこのヘヴンズゲートグループの話の権利を、彼や死んだ信者の何人かが勤めていたハリウッドのエンターテイメント企業に売りました。

その後保護観察官が全国放送のテレビでニックを見て、彼は刑罰から逃れている重犯罪者と認識されて投獄され、その後クリーブランドに復帰しました。

ニックはアドナン・カショギのGenesisの子会社にカルト信者の死の話を売却しました。

アトランタのエモリー大学の政治学教授であり、Cosmic Voyageの著者であり、科学的にリモートビューイングに専門しているFarsight研究所の学長兼経営者でもあるコートニー・ブラウン(Courtney Brown)教授は、アート・ベル(Art Bell)のラジオ番組に出演しました。

ブラウンは研究所のリモートビューイング実施者がヘール・ボップ彗星に付随する怪しい物体を発見し、しかもそれは知的にコントロールされていて、ある種惑星型の宇宙船のようなものが彗星に引っ張ってもらう形で、あるいは彗星の後ろに隠れる形で存在すると言いました。

火星にはETがいてその文明は滅びかけたが、ニューメキシコ州で地下コロニーを始めたとブラウンは主張しています。

ブラウンはアシスタントのプルーデンス・カラブレーゼ(Prudence Calabrese)と一緒にアート・ベルの番組に再び出演しました。

ブラウンはトップ10の大学でよく知られた天体物理学者たちからFarsight研究所のリモートビューイング結果を裏付ける情報が送られてきたとリスナーに語りました。

今カラブレーゼはサンディエゴのTransdimensional Systemsという商業ベンチャーを率いています。

彼女はカルフォルニアのスタンフォード研究所を通じて、かつてCIAのプロジェクトChannanleでリモートビューイングや千里眼・透視を使ってソ連について詳しく調査する試みに関わっていたと主張しています。

現在カラブレーゼと14人の職員は危険な犯罪をリモートビューイングすることでサンディエゴのFBIと協力しています。

2007年3月26日、X13が私にヘヴンズゲートについての概要情報を伝え終わり、座ってテレビをつけました。

彼がテレビをつけた瞬間、「ヘヴンズゲート」の文字が画面に映っていました。X13は音量を上げて、Anderson Cooper 360というCNNの番組だったのですが、「10年前の今日、ヘヴンズゲートカルトの39人のメンバーによる大きな集団自殺がありました」とCooperが言いました。

これは偶然でしょうか?

実際、真実を知った時に高い意識からサインが与えられることなどはありません。

アンダーソン・クーパーが“Rio” Diangelo (本名はRichard Ford)にインタビューしに行きました。

彼はヘヴンズゲート教団内部で「Neody」として知られていました。

リオは遺体を発見し、それを911へ報告する前にビデオテープで撮影していました。

彼は1994年から1997年までカルトメンバーでした。

39人がドラッグのカクテルで自殺する4週間前に教団を抜けました。

彼らが宇宙船は自分たちを天国へ連れて行ってくれると信じるようになってきた後のことです。

ディアンジェロは3月26日に遺体を発見する前に、カルトメンバーの意図が述べられた2つのビデオテープを受け取っていました。

彼は自身の経験を綴った「Beyond Human Mind-The Soul Evolution of Heaven’s Gate」という本を書きました。

ディアンジェロはニューズウィークのインタビューで、ヘヴンズゲートカルトのリーダーであるマーシャル・アップルホワイト(Marshall Herff Applewhite)は1993年にテキサス州ウェーコ近くであった警察によるブランチ・ダビディアン(宗教団体)の包囲を怖れていて、自分たちのグループがFBIに付きまとわれていると思っていたと言いました。

ディアンジェロは、カルト信者たちは人間を越えた次のレベルでは性別がないと考えていたので中性的な外見をするようにしていて、セックスを避けていたと言います。

アップルホワイトが去勢すると、他の5人の信者も去勢しました。39人のメンバーはカリフォルニア州サンディエゴのランチョサンタフェの借り邸宅で死んでいるのが見つかりました。

犠牲者たちは26歳から72歳の年齢幅で、その中のトーマス・ニコルズ(Thomas Nichols)は、スタートレックのテレビ番組に出演していたニケル・ニコルズ(Nichelle Nichols)の弟でした。

自殺した人々は致死量のフェノバルビタールを摂取していました。

3月25日火曜日に、ディアンジェロは女性18人と男性21人の39人のメンバーからビデオテープを受け取り、そこには「身体という容器を脱ぎ捨て」て、ヘール・ボップ彗星の後に続いていると報告されているETの宇宙船に引き上げてもらうという別れの挨拶と彼らの意志が表明されていました。

多くの専門家は1月10日まで彗星の2000キロメートル後ろに物体があるのを観測し撮影していました。

彗星に続くその物体、つまりドラコの母船は、「Saturn-Like Object」やSLOとして知られるようになりました。

翌朝の水曜日、3月26日にディアンジェロはニックにテープの件と、教団が集団自殺した可能性があるという懸念を伝えました。

二人は車でサンディエゴに向かい、午前11時頃に到着しました。ディアンジェロは邸宅に入って遺体を見た後、サンディエゴ郡保安局に連絡しませんでした。

彼は邸宅を去った時に初めて午後1時34分に警察に連絡しました。

ディアンジェロはニックとロサンゼルスに戻ってじっとラジオニュースを聴いていましたが、警察に報告した事は何も流れませんでした。

その後ディアンジェロは午後3時にビバリーヒルズの警察署に連絡し、ビバリーヒルズの警察は彼をサンディエゴ郡保安官事務所にゆだねました。

彼らは何も知らないと言いました。
(注釈:警察と保安官は別です)

午後3時30分、副保安官のロバート・ブランクとローラ・ガシェックが現場に到着しました。

警察官が引き上げた瞬間からブランクは何かがおかしいと言いました。カーテンは引っ張られ(?were pulled)ていて、窓は閉められ(?were pulled)ていて、屋外照明は日なたで灯っていました。

ブランクは表玄関の鍵がかかっていて、窓は閉められていて、内玄関の鍵はかかっていないのを見つけました。

ヘヴンズゲートのリーダーであるアップルホワイトは、19世紀のオカリストのブラヴァツキー夫人(Helena Blavatsky)と、マーク・トウェイン(Mark Twain)の名で知られる小説家のサミュエル・ラングホーン・クレメンス(Samuel Langhorne Clemens)と繋がりを持っていました。

(注釈:マーク・トウェインは「トム・ソーヤーの冒険」の著者)。

ヘヴンズゲートの邸宅はちょうどサンディエゴ川から通りを下った、18241 Colina Norteにあります。

ここはブラヴァツキー夫人の弟子のキャサリン・ティングリー(Katherine A. Tingley)夫人のお気に入りの場所でした。

ティングリー夫人は1896年にサンディエゴに越してきて、ポイントロマに神智学協会を設立しました。

1897年2月25日にセンターが開設され、サンディエゴの式典では市長を含む何人かの著名人たちが出席しました。

ヘヴンズゲートグループと同様に、神智学協会も地球外生命とテレパシー的なコンタクトをしていて、ティングリー夫人は大災害によってカリフォルニアの大部分が沈み、西洋文明が終わると信じていました。

サンディエゴはなんとか残って、ヌエボ・カリフォルニアと呼ばれる島国の首都になるだろうと彼女は予測しました。

1907年、サミュエル・ラングホーンクレメンス(別名マーク・トウェイン)はExtract from Captain Stormfield’s Trip to Heaven(「ストームフィールド船長の天国訪問」)という短編小説を書きました。

主人公は「天体旅行」のために彗星の尾に乗って地球を離れます。

物語の中で主人公はパスポートと5ドルと25セント硬貨を3つを運賃として持ちます。

ヘヴンズゲートの犠牲者の多くは自分のパスポートと5ドル75セントを手に持っていました。

また、ニューエイジの用語の人間を超えたレベル Evolutionary Level Above Human (ELAH)の綴りは後ろから読むとHALEです(注釈:Hale-Bopp彗星の)。

ヘヴンズゲートグループは映画の脚本を作り、Way Out Picturesのアレックス・パパス(Alex Pappas)に渡しました。

彼らはアリゾナ州フェニックスのパラダイスバレーのマミー山でパパスに家を借りながら脚本を書きました。

カルトメンバーはパパスがプロデューサーだと知って、家賃代34万円とその脚本を手渡しました。パパスがある記者に「これは少し黙示録的(世界の終末を思わせるもの)ですね」と尋ねられると、彼は「まさか?とてもシェークスピア的な話だよ」と答えました。

パパスは「善と悪の大きな戦いさ」と言いました。

結末を明かすことなく、彼は脚本がハリウッドにとって完璧であると約束しました。「最後に善が勝つ」と言いました。

Beyond Human: Return of the Next Levelというタイトルのこの映画について、パパスはこう言いました。

「この脚本は少し冗長になっていた。

地球の周りを放浪している宇宙人がオリオン星雲に連れていくにふさわしい人間を探している話などで。また登場人物でごちゃごちゃしていた。

原案では100以上の会話シーンが見せつけらていた。

しかし作者は脚本を変更してもっと扱いやすいレベルに落とすことを快く引き受けてくれた。それがとてもとてもうまかった。

ひきつけるのはもちろん、ほとんどの視聴者がこの映画をおしゃれなSFとみなすだろうが、著者は本当に真実だと断言している」。

またDanielle Forlanoは「彼らは自分たちのことを、宇宙船で人間の次のレベルへ連れて行ってもらえる数少ない選ばれた人間だと信じて死んでいった」と言いました。

ヘヴンズゲートグループのメンバーはパパスに渡した映画脚本にほとんど全力を注ぐ一方で、もうひとつの映画の概要も考えていました。

その二作目の脚本を読んだForlanoは「これはとても奇怪だ」と言いました。

「彼らはレプティリアン、グレイ、オーブなどについて話していて、冥王星の所有権について主張している」と。

ヘヴンズゲートの最初のメディアスピンオフ作品は、アイダホ州にあるボイシ州立大学でカルトメンバーが自分たちの哲学を議論するビデオ映像から構成された、半分真面目で半分バカにしたドキュメンタリーかもしれません。

フリーランスのSergio Myersは彼の会社のRising Sunを通じて、90分の作品を販売する計画をしています。

彼は「Believers of the Unknown」と呼ばれるUFOグループを設立しました。

その作品を通じてヘヴンズゲートに入信する人々が出てくる心配をしているかと質問されると、彼は「してるよ、してるよ。でもこれはビジネスさ。」と答えました。

 

*1:このような情報の真偽を確かめる方法は基本的に私たちにありませんが、コブラは「大きな侵略が3回あった」と言っています。(ちなみにジェームズの言う通り13年周期で来ていたならば、2012年の次は2025年です。この年はコブラがイベントの期限として明言していますが、何か関係があるのかないのかは分かりません。)

『人類史上、アルコンとアルコンに虐げられた種族――ドラコニアンとレプタリアン――の宇宙からの侵略は、大きく3回ありました。

第一回がクルガン侵略で紀元前3,600年頃です。闇の存在たちはコーカサスの次元ポータルを通って侵入しました。―

第二回がハザール侵略で393年頃です。闇の存在たちは前回と同じくコーカサス次元ポータルを利用しました。―
第三回がコンゴ侵略で、1996年です。闇の存在たちが、戦争で引き裂かれたコンゴ、ルワンダ、ウガンダを通って侵入しました。』
アルコンについて – nowcreation ページ!より

 

 

 

*2:コーリーもこれに似たようなことを少し話しています。

『Corey: 私たちの自宅周りに設置され、寝室に照準を合わせた装置があって、私たちが寝ている間に私たちの夢と能力を干渉して、もっともらしい考えとやらを植え付けるそうです。』
コズミックディスクロージャー: 金星から南極へ – Sphere-Being Alliance終盤

 

*3:ウィキペディアに当時の状況が書かれてありました。

『そのラジオドラマは、1938年10月30日に、アメリカのCBSネットワークにおける「マーキュリー劇場」という番組で放送された。宇宙人が地球(アメリカ)に攻めてきたという内容である。現場からの報告など、実際のニュース放送のような形で放送された。そのため、多くの市民が現実に起きている出来事と勘違いし、パニックを引き起こした、とされているのである。しかも、その作品をプロデュースしたのはオーソン・ウェルズであった。
CBSの「マーキュリー劇場」は聴取率が非常に低い不人気番組だった(『宇宙戦争』前週の聴取率は3.6%)が、当時アメリカ国民の3人に1人以上が聴取していた国民的人気を誇る裏番組に不人気歌手が登場し、多くの人が局を変えた瞬間、たまたま火星人によるニュージャージー州襲撃のくだりが放送されたことも、パニックに拍車を掛けた原因の一つであるといわれている。』
宇宙戦争 (H・G・ウェルズ) – Wikipediaより
*4:Googleブックスで「アメリカ・コミュニケーション研究の源流」という本のプレビューを見ることができました(cookieで見れる範囲が変わるようです)。彼らはかなり早い段階で視聴者に対するメディアの影響の分析を始めていたようです。「ラジオ・リサーチ・プロジェクト」と呼ばれているこの研究の資金はロックフェラー財団から提供されました。
Radio Research Project – Wikipedia
アメリカ・コミュニケーション研究の源流 – E. デニス, E. ウォーテラ – Google ブックス
P158『スタントン:私はさまざまな場所での調査で、自分が一番だと思っています。というのも、政府のものであろうが民間の活動であろうが、文化的な活動であろうが、私は常に、政策決定を下す前に事実をとらえ、何らかの確実なデータを入手することの重要性を強調してきたからです。これはまた、私にとっては興味深いことと言えます。なぜなら、15年から20年ほど前は、技術的調査や実験など、技術的な性格の調査が行われていましたが、これは消費者とは分断されていたからです。―
私は、番組の研究者は、番組の作り手に、受け手がどのように放送をとらえているのかよくわかるようにした功績があると信じています。それに、自動記録装置を使った私自身の初期の研究は、この国の全土で行われていたどの研究にも匹敵すると思っています。』
P143『ラザースフェルド―スタントン番組分析装置は、番組の特定部分に対する10人の受け手試験者の好き嫌いをリアルタイムで表示するために開発された。それは、反応を収集するためにも用いられ、番組の各部分の膨大な「好きと嫌い」が突きとめられた。その性質、歴史、そしてこの早すぎる装置の使用は、マーク・R・レヴィによって評されている。』
ざっと読んだところ1940年代にはこのような装置が既にあったようです。
P155『スタントン:私はCBSに入ったとき、非常に啓発的な経営手法を手中にしていました。私は視聴者が真に何をしているのかにもとづいて物事を試し、経営上の最高意思決定に参加するように言われていました。たとえば、調査によってわれわれは昼間の続きものを早い時間帯に連続で放送するようにしました。
私が初めてこの産業にかかわるようになったとき、昼間の続きものは歌や詩など、そういった類のものに分断されていましたが、続きもののほうが高い視聴率で、詩などは低い数字しか得られていませんでした。私はある日、経営者のもとに赴き、「どうしてこれを続けて放送しないのですか」と言いました。
私は、ニュースでも同じことをしました。夕刻の早い時間帯、ニュース番組は他の種類の番組で分断されていました。私は「3つに分かれているニュースをつなげてやりましょう」と言いました。経営者は、「そんなことはできない、視聴者がこの番組を受け入れるはずがないだろう」と言いました。私は、視聴者がこの番組を受け入れることに大きな自信がありました。というのは、いくつかの実験をしていたからです。そしてもちろん、われわれがこの番組を実現すると高い視聴率を得ました―』
お昼の情報番組などでは前後の番組同士でスタジオを通した中継がよく見られますね。
P148『第二の合同出版(マートン/ラザースフェルド、1948)は、今日では「文化戦争」と呼ばれていることに関する分析であり、大衆文化と上流文化におけるそれぞれの擁護者間での対立を全般的に特定した。その論文の核となる部分はマートンによって書かれ、社会学者としての彼の能力を用いてマス・メディアが、しばしば社会に対して3つの働きをすることを指摘した。―そして、それらは、マートンが「麻酔的逆作用」と呼んだ働きをした。彼ら退化した聴取者や視聴者は、受動に陥り近年「カウチ・ポテト」と呼ばれる状態になってしまうのである。』
「合同出版」とありますが、このようにメディアの洗脳的な側面を危惧したのは主にマートンであって、必ずしも二人の意見が一致していたかどうかは分かりません。共同執筆論文として発表することになった経緯などがこちらにまとめられていました。
MertonとLazarsfeld : 大衆説得 : メディア・リサーチ
マートンが危惧したメディアの機能が紹介されています。(マスメディアより)
1.地位付与の機能
マス・メディアによって取り上げられた人や組織が,そのこと自体で人々によって高い評価をもって見られるようになることをいう。
「ある人物や政策に,ひとたびマス・メディアが好意的な注意を向けると,その人物,政策の社会的な立場は引き上げられる」。人々は,タイムズ紙のような高級紙が取り上げることは重要であるに違いないと考えるので,新聞に好意的に取り上げられた事柄の重要性を無批判的に受け入れる。
2.社会規範の強制機能
マス・メディアが,社会的規範から逸脱した行動(たとえば汚職や環境破壊など)を取り上げ公表すると,人々は社会的規範を再認識させられ,逸脱行為をした人物に対しても社会的制裁の履行を要求するようになる。
3.麻酔的逆機能
マス・メディアの過剰な情報提供によって,大衆は受動的に情報を受けとることに満足感をもってしまい,問題意識が鈍化する。そして,何か問題が起こっても具体的な問題解決のための行動を起こそうとしなくなる。マス・メディアの発達が,かえって政治的無関心を醸成する。

yukio4さん、翻訳をどうもありがとうございます。

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。