ガッツポーズの起源と賛成か否定か

ガッツポーズ

こんにちは。「心を癒す」がテーマの画家ハナムラ・ヒロユキです。

今回は、ガッツポーズについてです。

今年の甲子園でも話題になったし、最近高山の先輩のブログにガッツポーズの賛否について書いてあったので、私もちょっと考えてみました。

 

ガッツポーズの起源

「ガッツポーズ」というのは和製英語で、英語ではfist pumpというそうです。

ウィキペディアで調べてみると、

「ガッツポーズ」という言葉が初めて使用されたのは、1972年11月30日に発行されたボウリング雑誌「週刊ガッツボウル」がストライクを取ったときのポーズを「ガッツポーズ」と命名したときとされる。

1974年4月11日、東京の日大講堂にて、プロボクサーガッツ石松がボクシングWBC世界ライト級王座を奪取したとき、両手を挙げて勝利の喜びを表した姿を、スポーツ報知記者が「ガッツポーズ」と表現して、ガッツポーズが広く知られるようになった。このことから、4月11日は「ガッツポーズの日」と呼ばれている。

とありました。

 

なのでポーズ自体は昔からあったけど、ガッツポーズと名前が付いたのは最近のことみたいです。

 

昔からというけれど、戦国時代の武将も戦の時にガッツポーズをしていたのかどうかは多分資料には残ってないので、どのぐらい昔なのかはわかりません。

 

ガッツポーズの賛否

このガッツポーズには、いつも賛否両論があります。

 

賛成派、否定派がありますが、私はというと「どっちでもいい派」です。

 

「相手に対して失礼に当たる」というのも納得できるし、「喜びを表現している」というのもよくわかります。

 

勝負に勝った時というのはものすごい興奮状態にあるので、ついつい「やったー!」と自分に対しての達成感からくるガッツポーズが出てしまうのかなと思ったりもします。

 

スポーツによっては、ガッツポーズを禁止しているものもあるそうです。

 

卓球の場合は、相手の目を見てガッツポーズをするのは禁止らしいです。

 

確かに、目を見てガッツポーズされたらムカッときますからね。

 

ガッツポーズは拳ではなくて、空手の手刀みたいに手のひらをピンと伸ばした状態だったら拳ほど威圧感はなくなるのかなと思ったりもします。

 

ダンディ坂野の「ゲッツ」ポーズとか?

 

古い?

 

でも、選挙で当選した時にみんなでバンザ~イってやってますが、落選した人に対して失礼に当たるとは聞かないのでバンザイはいいのかなぁなどと思ったりもします。

 

ガッツポーズの代わりに、バンザイならいいかもしれません。

 

競技としてのガッツポーズ

なにかとガッツポーズ論で燃え上がってしまいますが、いっそのことガッツポーズを競技にしたらどうでしょうか?

 

空手の形競技のように、旗による判定で勝敗を決めます。

 

予選は予め決められたポーズで行う「指定ガッツポーズ」

 

本戦はフリースタイルの「自由ガッツポーズ」

 

それぞれ個別に一瞬だけガッツポーズをして、フラッグ方式で勝敗を決めます。

 

評価基準は次の通り。

  • ガッツポーズをするときの腕と拳の角度
  • 腕を振り上げたときのキレとスピード
  • 全身全霊を込めているか
  • 腕の筋肉の付き具合
  • 顔は緊張感に満ちているのか喜びに満ちているのか
  • 雄叫びの大きさと迫力
  • 目力
  • ファッション・センス

 

これらの点で競い合いうのですが、判定後の勝敗が決まったときにガッツポーズをしてしまった場合は失格になってしまいます。

 

このパラドックスも十分考慮したうえで、競技に挑む必要があります。

 

このガッツポーズ競技の勝負は、一瞬で決まってしまいます。

 

一瞬にすべてを込めるため選手によっては、肩を脱臼してしまう者、雄叫びをあげすぎて顎がはずれてしまう者、拳を振り上げる軌道を誤り自分の顎にヒットして気絶してしまう者も出てくるかもしれません。

 

ガッツポーズ世界選手権大会までになると、相当すごいガッツポーズをする選手が現れるのではないかと思います。

 

 

以上、どうでもいい私のガッツポーズ論でした。

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フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。