老僧が ネコにしたこと

いままでのやり方が本当に正しいのかどうか疑問はあるけれど、まあいいかと思い見過ごして生活しているときがよくあります。

でも、それって本当に正しいのでしょうか?

この話を参考に、ちょっと考えてみましょう。

最初のやり方が正しいとは限らない

ある老僧が毎朝、日の出前に寺で祈っていた。

毎日、老僧が祈り始めると決まって寺のネコがやってきて老僧に身体をこすりつけるので、気が散ってしょうがない。

ある日老僧はひもを持ってきて、祈りをささげている間ネコを祭壇にくくりつけた。

 

それから長いことそれを繰り返し、やがて老僧は亡くなった。

 

すると若い僧が老僧のやり方を引き継ぎ、毎朝祈りをささげているあいだ、ネコを祭壇にくくりつけるようになった。

 

ある日、ネコが死んでしまったので、僧たちは代わりのネコを連れてきた。

 

それから百年ものあいだ、延々とネコは祭壇にくくりつけられた。

 

やがてある人が言った。

「こんなことをするのはバカげている。ネコの像を飾ればいいじゃないか」

そこで僧たちはネコの像を手に入れ、祭壇の一番下に祀った。

 

それからまた百年過ぎ、ある僧が言った。

「なんと美しい像だろう。これはとても古くから伝わる由緒あるものだ。どうだろう、祭壇の一番上に祀るべきではないだろうか」

 

そして何年もが過ぎ、僧たちは膝をついてネコの像をあがめた。

なぜそのようなことをするのか、誰にもわからないまま

しかし、ずっと前からこうしているのだから、きっと何か理由があるのだろうとみなが思っていた

 

「今日は残りの人生最初の日」ロビン・シーガー / 小川敏子 から引用

私たちは昔からある伝統や習慣を、何の疑いもなく受け入れて生活していたりします。

これについて疑いを持つことは、タブーとみなされたりします。

しかしちょっと立ち止まって、これは本当に意味があることなのだろうか?改善する余地はないのだろうか?と考える必要があります。

最初にできたプランが完璧とは限りません。

思い切って変えていくということも重要です。

 

参考文献:「今日は残りの人生の最初の日」ロビン・シーガー / 小川敏子=訳

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フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。