骨髄移植患者からの手紙

こんにちは。「心を癒す」がテーマの画家ハナムラ・ヒロユキです。

私は数年前に骨髄提供手術を受けて、その後患者さん側から送られてきた手紙について書きました。

結果をいうと悲しい手紙になってしまいましたが、生きる意味を考えさせられる出来事になりました。

実際の手紙の写真も載せてありますので、ご覧ください。

目次

 

2003年にドナー登録をしました

私は、平成〇〇年〇〇月〇〇日に〇〇病院で骨髄移植提供をしました。(※〇〇の部分は公表してはいけないことになっています)

私は2003年に骨髄バンクにドナー登録しました。

登録は簡単な血液検査などをして、問題がなければ後日骨髄バンクから登録完了の通知が来ます。

登録後、数年経ちましたが骨髄提供の依頼はなく、そのことは頭の中からすっかり消えていました。

ある日分厚い封筒が送られてくる

そんなある日、骨髄バンクから分厚い封筒が送られてきました。

中を見ると骨髄移植に伴う重要書類が入っていました。

骨髄移植の適合者候補になりました、とのこと。

書類に目を通し、誰かのお役に立てると思うととても嬉しくなりました。

しかし、移植に伴うリスクもないわけではありません。

最悪の場合は死亡し、後遺症などが残ることが稀にあります。

一瞬どうしようかと迷いましたが、私は人間死ぬときは死ぬと思っているので不安はすぐに消えました。

すぐに承諾して書類を送りました。

精密検査のため病院へ

数ヵ月後、何度も精密検査をしに骨髄バンクと提携している地元の病院に通いました。

問題はなかったので後日、家族同伴で詳細に説明を受け、最終同意書にサインをしました。

この時点から、骨髄提供を受ける患者は非常に苦しい提供の準備に入るので、同意書にサインをした後に取り消すと患者の命にかかわります。

サインした後は、怪我や病気がないように健康管理に十分注意していました。

骨髄提供手術のため入院する

骨髄移植手術の前日に、〇〇病院に入院しました。

健康な状態で入院するので、何か変な感じがしました。

移植手術前夜に、麻酔科の先生が麻酔に伴う最終同意書を持ってきました。

最悪な状況を想定したことが箇条書きで書かれていて、すごく痛そうだったので正直ちょっと怖くなりました。

最後に「同意する」「今回は見合わせる」というのがありました。

ここでやめるわけにはいかないだろう・・・と思い同意書にサインをして、あとは提供手術を受けるだけになりました。

コーディネーターの方から患者さんの大まかな情報を聞きました。

名前や住所などは教えてもらえませんが、中国地方に住む40代女性とのことでした。

部屋には、私一人になりました。

本を読んでもなかなか進まみませんでした。

もしかしたら明日で人生最後になるかもしれないと思い、大好きなロッテパイの実を食べようと手を伸ばしました。

でも、そういえば前夜は絶食だったなと思い出し、仕方がないので日記を書いて寝ました。

骨髄提供手術の当日

早朝に目が覚めました。

移植手術は朝なので、手術着に着替えました。

全裸になり三角帯(いわゆるフンドシ)を着け、足の血液を圧迫するための白いハイソックスを履きました。

こんな格好で手術室まで歩いて行けと言われたらすごく恥ずかしいな、などとくだらないことを想像していました。

最後に白衣を羽織り、担架に乗せられて手術室まで移動しました。

医師のジョークが心を和ませる

手術室に入り台に寝かされたあと、すごく太い注射針を腕に刺されました。

全身麻酔のマスクをつけられる前、私は自分自身をリラックスさせるために先生に質問しました。

 

私:「先生・・・、アメリカでも移植手術をするときは、フンドシをつけるのでしょうか?」

 

先生:「はい。アメリカでは、星条旗のフンドシをします」

 

とジョークで答えてくれたので、面白くて心が緩みました。

すると、もう一人の非常にまじめな先生が近づいてきて真顔で、

 

「それは嘘ですよ!」

 

と本気で言ったので、これまた死ぬほど面白くて完全にリラックスできました。

「麻酔のマスクをつけたあと、深く呼吸をしてください。3回ぐらいで意識がなくなりますからね」

といわれたので、頑張って5回はいこう!と思いましたが、残念ながら3回で意識がなくなりました。

深呼吸をしているとき、私は心の中で

「みなさん、今までありがとう。僕の人生は最高でした。神さま、これからも宜しくお願いします」

と唱えると

「はーい」

と人間の声ではない何者かの返事が聞こえたので、とてもびっくりしました。本当に聞こえました。

 

骨髄提供手術終了

目が覚めると手術は終わっていました。

このときの「生かされた!」という感動の喜びは、ボリビアで死にそうになったとき以来でした。

この日から更に、普通でいられるということがどれだけ有難いことなのかを強く実感するようになりました。

3日間入院し、4日目には退院しました。

腰には太い注射針を刺した傷口が、4箇所残っていました。

1ヶ月間は腰に鈍痛があり、階段の上り下りの時は痛みました。

それでも、普通でいられることがどれだけすばらしいか気づかせてくれる痛みだと考えると感謝できました。

患部の写真

骨髄移植手術では、私の骨盤から900ccの骨髄を採取したそうです。

その骨髄は早速、骨髄バンクのスタッフが中国地方の40代女性の患者さんのいる病院へ届けたとのこと。

↑患部は4か所ですが、注射針を抜かずに角度を変えて何度も採取します。骨盤にはたくさん穴が開いているとのことです。

 

患者さん側からの手紙の内容

腰の痛みが消えかかった頃、骨髄バンクから封筒が届きました。

きっと患者さんからの手紙だなと思い封を切ると、やはりその通りでした。

 

その手紙には次のように書いてありました。

写真は実物です。

公表してはいけないかもしれませんが、思いを伝えたいので載せました。

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この度は妻の移植に際して、骨髄の提供誠にありがとうございました。

あなた様には、多大な苦痛と、提供に至る迄の過程において数々のプレッシャーがあった事、申し訳なく思っております。

 

本来ならば妻と一緒にお礼の手紙を書こうと言っていたのですが、それも叶わなくなりました。

 

折角、骨髄の提供を頂きながら、あなた様のご好意にお応えできなかった事は残念でなりませんが、世の中には適合するドナー様が見つからず、命を落とされる方も多々おられる中、妻の場合あなた様のように殆ど完璧な迄に適合する方がおられ、提供頂いた事、又多くの医療機関、移植推進財団の方にも支えて頂いた事は何よりも幸せだったと思います。

 

あなた様には、寒さ厳しい折お体にご自愛ください。

 

本当にありがとうございました。

 

平成〇〇年〇〇月〇日に

提供を受けた妻の夫

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てっきり私は、すでに回復して元気になられたのかと思っていたので、これを読んでショックを受けました。

ご主人と、もしかするとお子さんもいらっしゃるのではないかと思うと、悲しくて涙が止まりませんでした。

 

後日、骨髄バンクのコーディネーターの方が、私にこの手紙を送ってもいいものだろうか本当に迷ったということを教えてくれました。

命について考えさせられる出来事でした。

その後も骨髄提供手術のオファーが3回も来た

それから現在まで、骨髄バンクから骨髄適合通知書類が3回も送られてきましたが、その都度、最終選考で他の候補者になったので私は保留になりました。

 

偽善的に聞こえるかもしれませんが、私は本当に何かの役に立ちたいと思っています。

そうするべきだとは思っていなくて、そういうことが好きだからです

 

そんな気持ちで絵も描いています。

 

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。