最期を迎えたあとは どうなってしまうのか

私たちはどこから来て、どこにいくのか

最期 死後 生 意識

人間は死を迎えたあと一体どうなってしまうのかということについてのお話です。

 

「死」についての不安や恐怖

私たちは「死」について不安や恐れを抱いています。

なぜかというと、
死を迎えたあとは自分という存在が消えてしまう恐怖と
死後があったらどのようなものなのかわからないからではないでしょうか?

 

死というものはない

まず、死後の世界というものは存在していますが、
実は「死」というものは存在していません。

肉体の「死」は存在していますが、
私たちの「意識」は死んで消えてしまったりはしません。

意識というのは、魂といってもいいかもしれません。

この意識というのは「私」であり、
生まれる前も死んだ後もずっと意識はあるのです。

 

死ぬ瞬間は苦しみはない

では、死ぬ瞬間というのはどのような感じなのでしょうか。

私たちは「死」は痛みを伴っていると想像しがちですが、
死ぬ瞬間というのは痛みはありません。

例えば交通事故で亡くなったり、
どこからか落ちて亡くなったりしても
痛みはないのです。

なぜかというと、
息絶える寸前に身体から意識(魂)が抜けるからです。

人間の精神はそのような衝撃には耐えられないのです。

死ぬ瞬間というのはとても気持ちがよくて、
だいたいの人は一瞬のあいだ無意識状態になります。

意識が戻っても変わらず自分はそこにいます。

自分の体も手足もあって見ることができるし、
まわりも見えるし
考えることもできて
何も変化がないように感じられます。

自分の亡骸が目の前にあるのに自分は生きているので
自分が亡くなったということが信じられないし
受け入れられないので不思議に思います。

このときに
ああ、私って死んだのかぁ
と納得できればいいのですが、
死後の生があるなどと考えたこともなかったような人はパニックになります。

自分の葬式に自分が参加している場合もよくあります。

なぜ自分は生きているのに
みんなは私のことが見えず
話しかけても反応がないのか不思議で仕方ありません。

混乱と不安でいっぱいになるとそれが怒りに変わって
ものに当たったりします。

しかし、ものに当たってもすり抜けてまったく手応えがありません。

次元違っているからです。

稀に波長が合って物を動かうことができてしまうことがあります。

例えば、何か物音がするとか
何度起こしても位牌が倒れるとか。

この世に執着があるとそういうことが起きたりします。

 

お迎えが来る

では、自分の肉体の死を受け入れて
人生をまっとうしたと満足感がある人はどうなのでしょうか。

だいたいの人は自分の人生が終わった後は
達成感と至福感を味わうようです。

一通りみなに別れを告げたあと(人によっては一瞬にしてあっちの世界に行く人もいますが)
例えばもう亡くなったおばあちゃんだとか親しかった人が
気が付けば傍にいて、
あちらの世界に一緒に案内してくれます。

死んだときにおばあさんだったとしても
あの世では特に女性は20代ぐらいの絶頂期の姿をして生活しています。

それも好みですが、
男性の場合は貫禄のある老人の姿が気に入っていたり
美男子だったりします。

なぜそのような本人の理想の姿でお迎えに来ないのかというと、
そんな姿で来られても迎えられたほうは
「どちら様でしたっけ?」となり
誰だかわからないからです。

ですので、誰なのかわかる生前の姿で現れるのです。

 

そしてお迎えの人と一緒に別の次元に戻っていくのです。

 

あちらからこちらは見える

あちらの世界に行っても
こちらの世界の様子は見えます。

 

物理的な場所ではないので
あちらとかこちらという表現はちょっと違うのですが、
すべては同じところに存在していて
それぞれの視点が違うといったところでしょうか。

理解しにくいですが。

 

それぞれのイメージで次元を超える

人によっては日本的だと三途の川を渡ったり
西洋では花畑を歩いて行ったりしますが、
それは個人の意識が死を納得できるように演出するもので
それぞれが違った体験をします。

亡くなった瞬間の意識が罪悪感や後悔の念にさいなまれていたりすると
三途の川は激流で渡れないという人もいます。

自殺は苦しみからの解放であると誤解する人もいますが、
肉体の死後も苦しみの意識状態は同じく引き続きます。

こんな筈ではなかったという後悔の念が
自分を縛り付けて苦しめることになります。

それでも手を差し伸べてくれる存在はいるのですが、
心を閉ざしているので気づけないため
どのぐらい長いあいだ苦しむのかはその人次第ということになります。

 

達成感や満足感がある人は、
三途の川は浅くてゆるやかな流れで
ふと流れに足を踏み入れた瞬間
気づけば向こう岸に到着してるそうです。

 

最期の意識状態がとても重要

各々違う体験をするのですが、
重要なのは死ぬ瞬間の意識の在り方です。

マザーテレサはそれを知っていたので、
人の最期を大切にしていました。

 

何かを達成できたできないにかかわらず、
人生を精一杯生きることが重要であります。

 

まとめ

  • 死後の世界は存在する
  • 死後も自分という意識は存在する
  • あちらの世界では、自分の理想の姿で生活している
  • あちらの世界では、みんな元気
  • 逝くときの意識状態が重要
  • それぞれ違っイメージで次元を超える

 

ABOUTこの記事をかいた人

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フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。