ルーマニア旅行記-4・雪の積もるブカレストに到着

ブカレストに到着

約一時間遅れぐらいで、ブカレストに無事到着しました。

 

出口では大使館勤務の長谷川さん(ボリビア時代の同僚)が迎えに来てくれました。

 

長谷川さんに会うのは、3年ぶりぐらいです。

 

相変わらず長谷川さんは、長谷川さんでした。

 

常にマイペースを貫き、いつも堂々としているその姿は、まるで野生のボンゴを彷彿させます。

 

長谷川さんとはもう10年の付き合いで、協力隊の広尾訓練所では3ヶ月間同じ部屋で仲良く生活しました。

 

長谷川さんは私より4歳年上で、ジョージワシントン大学を出ているので、アメリカのことや色々なことを教えてもらいました。

 

長谷川さんは、常にアメリカ仕込みのレディーファーストを心掛けているので、私はいつもその姿を見て「んんん~~、御主なかなかやるな」と感心しながら私も真似していました。

 

レディーファーストができる男性はとても素敵なジェントルマンに見えるので、私も心掛けるようになりました。

 

まあ、長谷川さんについては、今回のところはこのぐらいで。

 

さて、長谷川さんと一緒にタクシーに乗って中心街に向かい、長谷川さんのマンションに荷物を置いてから近所のイタリアンレストランに行きました。

 

私は長旅の疲れと、時差ボケと天然ボケで頭がぼ~~~~~~~~~~っとしていました。

 

ビールを飲んでから、ルーマニアのワインをいただきました。

 

美味しかった☆

 

ルーマニアのワイン。グラスのワインには顔が映っていますが、心霊写真ではありません。長谷川さんの顔です。

 

隣の席では、ルーマニア人の若者たちが楽しく食事していました。

 

長谷川さんは、流暢なルーマニア語をしゃべって食事を注文してくれました。

 

そして私は腹いっぱいご馳走になり、長谷川邸で眠りに就いたのでした。

 

長谷川邸

ルーマニア滞在中のほぼ2週間、私は長谷川さん(以後、長谷川大先生)家で居候させてもらいました。

 

長谷川大先生は、ボリビア時代からとてもシンプルな生活をしています。

 

長谷川大先生は、ボリビアのスクレという町にある孤児院で青少年活動をしていて、その孤児院内にある彼の部屋にも私は何日か居候したことがあるのですが、まったく飾り気がない。

 

どのぐらい飾り気がないかというと、誰かに「ここから出て行きなさい」と言われたら、「はい」と言って5分で荷造り完了できるぐらい、部屋には余分なものは何もないのです。

 

今回のルーマニアでは、荷造りに20分ぐらいは要りそうでしたが、それでもとってもシンプルなので感心します。

 

そういえば、長谷川大先生と出会った当初は、彼は福岡出身なので博多弁をしゃべるため、私は彼が何を言っているのかさっぱり理解できませんでした。

 

語尾に「~したっちゃ」などと言っていたので、その度に私は、アニメの「うる星やつら」のラムちゃんを連想していました。

 

まあそんなことはいいです。

長谷川大先生↑
(こんな感じの人です)

 

私が寝ていたベッド↑

 

「寝場所は、室内がいいかベランダがいいかか?」と聞かれたので、私は室内を選択。

 

ソファーベッドを引き出してもらい、我が家のように大の字になって寝させていただきました。

 

私用のソファー↑

 

荷物がたくさん置かれているので、ここでは殆ど座らず、ベッドの上で偉そうに寝転んでいました。

 

長谷川大先生のソファー↑

 

彼は帰宅するとここに座り、タバコを吹かしながら、Laptop(ノートパソコン)をLaptop(ひざの上)に乗せてインターネットをしていました。

 

テーブルを私物で占拠しました。

 

テーブル奥は大先生のパソコン。中央部にはルーマニアワイン。左下にあるのは、電卓ではなく私の携帯電話(ブラックベリー☆)です。

 

2週間、自由気ままに過ごさせていただきました。

 

どうもありがとうございました。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。