「心を癒す」がテーマの画家ハナムラ・ヒロユキです。
今回は運命というものがあって、人生とは生まれる前から決まっているのか決まっていないのかについて書きました。
-目次-
生まれる前に人生の青写真を作ってくる
人はこの世に生まれる前に、今回はどんな学びがある人生にするかを自分で決めてきます。
ここでのポイントが「どのような学びがある人生にするか」ということなんです。
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旅行に例えると
それはどういうことかというと、例えば広島から東京へ旅行するとします。
せっかくなので途中で大阪、名古屋にも観光したいと思いました。
最短距離で早く行きたいのなら新幹線が便利です。
でも時間に余裕があり景色をゆっくり見て移動したいと思ったので、大阪まで在来線で行くことにしました。
大阪に着くとレンタカーを借りられることを知り、名古屋までレンタカーで移動しました。
名古屋に着くと北陸への旅行もしたくなったので、高速バスで富山まで行きました。
富山を観光してから北陸新幹線に乗って、目的地の東京に到着しました。
広島から大阪、名古屋を経由して東京に行くまでには、飛行機も船も使うこともできます。
交通手段は違いますが、経由地を経て目的地に到着するのは同じです。
人生の青写真も旅行と同じ
学びのために経験したいことは人生のあらゆる時期に設定するのですが、そこに行きつくまでのルートは「その時」に決めることになっています。
あらかじめ決めてきた経由地で学ぶことも多いのですが、そこに行きつくまでの道のりからも多くのことを学びます。
経由地までの交通手段によって、経験することが違ってくるのです。
人生のすべての出来事は決められているわけでないけれど、経験すると決めてきたこともあるといえるんですね。
混乱やストレスの原因
目的地に向かうまでに混乱やストレスを経験しますが、こういうときは旅行でいうとどのような状態なのでしょうか?
わかりやすくいうと、こんな感じです。
広島から東京方面に行きたいのにも関わらず、反対方向の福岡行きの電車に乗ってしまっているとき。
もしくは、東京方面の電車に乗っているのにも関わらず、電車の中で進行方向とは逆の方向に歩いたり走ったりして降りなければいけないと思っているときです。
こんなときは混乱やストレスを感じてしまうのです。
自分を見失うともいいます。
人生をテレビゲームに例えると
もう少し違った視点から見てみます。
人生はテレビゲームと同じようなものだとします。
テレビゲームの中の世界はすべてプログラミングされています。
たとえばスーパーマリオブラザーズというゲーム。
スタートするとマリオは、右方向にすすんでゲームが展開するようになっています。
でも、反対側の左方向にすすんでもゲームは展開していきません。
なぜでしょう?
左にすすんでもゲームが展開するようにプログラムされていないからです。
ゲームは右方向にすすむものだと思っているので、みんな疑いもなくマリオを右に走らせます。
すぐにクリボーが出てきますが、次の3つの選択肢があります。
- 踏み潰す
- 跳び越える
- クリボーに当たってゲームを終える
これらの選択肢はプログラムされているので実行できますが、
- 消える
- 空に飛んでいく
- 分身の術を使う
などということはプログラムされていないので実行できません。
続いてすすんでいくと崖が出てくるとします。
ここでも2つの選択肢があります。
- ジャンプして跳び越える
- 落ちる
というのはプログラムされているので実行できますが、
- 橋を作って渡る
- 羽が生えて飛び越える
- 崖が自然に埋まって渡れる
- 崖がないかのように走って渡れる
などはプログラムにはないので実行できません。
人生もゲームのプログラムと同じようなもの
人生も同じようになっています。
- それぞれの人生にプログラムされていることは現実として起こるけど、プログラムされていないことは起こらない
- プログラムされたことは、それを選択できるようにプログラムされている
ということです。
ですので、自分が想像できることというのは実現する可能性があるということでプログラムされているといえるし、想像できないことはプログラムにないといえます。
想像を絶することが起こるのはどういうことなのでしょうか?
それは、想像を絶することが起こるようにあらかじめ自分でプログラムしてきたということです。
あまり説得力ありませんけど、そういうことになっています。
まとめ
「人生には決めてきたこともあるけれど、
そこで選択できるという自由意志を与えられているので
経験することを変えることができる」