シギショアラに一人旅
ブカレストから鉄道で、シギショアラという町に行きました。
ブカレスト駅から、この列車に乗りました。
列車入り口のこの急な階段を、よっこらしょ!!と上って乗り込みます。
美女がいたら、落ちないように後ろから支えてあげようと思いましたが、こんな時に限ってお婆さんしかいませんでした。
でも、このお婆さんをタイムマシンに乗せたら、もしかすると絶世の美女であったかもしれない。
まあ、そんなことはいい。
はい、次。
車窓から。
まだ雪が積っています。
車内の座席は、テーブルを挟んで向かい合わせの席なので、全然リラックスできません。
私の目の前には、60歳ぐらいのストレスが溜まったゴルバチョフ書記長のようなおじさんが座っていました。
英語で挨拶すると、英語は通じないようで「何だ!コノヤロー!」という目で見られました。
長谷川大先生が「スペイン語とルーマニア語は結構似たところが多いから、何となく通じるよ」などと言っていたのを思い出し、スペイン語で挨拶したら無視されました。
チェ!ウソじゃねえか・・・・・
私はシギショアラまでの7時間、そのストレス顔のゴルバチョフさんと向かい合って座っていました。
7時間も面と向かっていると結構疲れてくるので、一休さんのトンチ問答でもやりたい気分でした。
ゴルバチョフさんとその横に座っていたルーマニア人の若者は、仲良くおしゃべりをしていました。
すると、突然二人は新聞の数独をやり始めました。
ゴルバチョフさんだけペンを持っていたので、二人でペンを使い回しして数独をしていたので、私は自分のペンを貸してあげました。
その瞬間、魔法が解けたかのようにゴルバチョフさんのストレス顔がパア~~~っと明るく笑顔になりました。
若者も喜んで、お礼に美味しくないお菓子をくれました。
小さな国際交流が成功した瞬間でした。
それから数時間後の夜の8時頃に、列車はシギショアラ駅に到着し、二人は笑顔で私を見送ってくれました。
ペンを貸してこんなに喜ばれたことは初めてでした。
ちなみに、ボリビアにいたとき、ボリビア人にペンを貸すと返ってきませんでした。
そのまま自分の胸ボケッとに差し込んで去ってしまうので、書き終わるまでじーーーーーっと監視していなければなりませんでした。
さあ、駅からタクシーに乗って、シギショアラの町へ!!!!