ルーマニア旅行記-16・ブラショフのルシュノフ要塞へ

ブラショフ<ルシュノフ要塞>

ドラキュラ城ことブラン城に行った帰り道に、ルシュノフ要塞があるのでそこに連れて行ってもらいました。

山の上にそびえ立つルシュノフ要塞。

タクシーを駐車場で止め、そこからこの石畳の坂をトボトボと一人で歩いて上っていきました。

すると、向こうにルシュノフ要塞が見えました。

チケットを買ってから門をくぐり、中に入りました。

まるで「天空の城・ラピュタ」に出てくる要塞のようで、私は興奮してパズーになったような気分でした。

シータを探しに行きたくなりましたが、これ以上架空の話を進めるとどんどん脱線していくので、ここで止めておきます。

さて、この要塞に入ってみましょう。

壁も建物も石が積み上げられてできていますが、そんなこと見ればわかるな・・・。

右にはお土産ショップの看板が見えます。

私はこのような造りの道が大好きなので、この通りをハナムラ・ロードと勝手に名付けることにしました。

ここを通ると幸せになる、ということにしておきます。

天辺には大砲がありました。

ゴミ箱ではありません。

私はルーマニアから日本に帰国するとき、この大砲に入り、日本まで飛ばしてもらいました。

なーんてね、、、ぜんぜん面白くないな・・・・。

近くに居た観光客のおじさんにニッコリ挨拶したら、「写真撮ってやるよ」というボディーランゲージをしたので、記念撮影をしてもらいました。

自分でこの写真を見て、サモハン・キン・ポーみたいな髪型してるなあ~って思いました。

どうでもいいことですけど。

旅はつづく。

ブラショフ<ホテルで>

ブラン城とルシュノフ要塞の観光も終わり、ホテルに帰って一休み。

ホテルのレベル的には、中の上ぐらいなのではないかと思います。

一泊6千円ぐらいだったと思いますが、十分すぎるぐらいの広さがありました。

日本だったら1万円出しても10畳ぐらいの広さしかないですからね。

写真は、奥にあるドアが出入り口で、その右側はシャワールームです。

ダブルベッドなのでど真ん中で堂々と眠りたい気分でしたが、シングルベッドが二つくっついているだけで境目があり寝にくいので、結局右側で寝ました。

夜は、一人で枕投げをしました。

な~んてね。

化粧台。

私は化粧しないので、結局使いませんでした。

オシャレな造りのバスルームですが、シャワーカーテンがないため水しぶきが飛び散って床が濡れてしまうので、浴槽で縮こまるようにしてシャワーを浴びました。

シャワーカーテンを付けてください!!!

旅はつづく。

ブラショフ<夜の街を散策>

夜は、ブラショフの街をブラブラ散策しました。

ホテル前の広場です。

この写真にはあまり人は写っていませんが、このあと段々と人が増えてきて賑わっていました。

黒の教会です。

大通りの脇道に、妖しく点滅するネオンを発見しました。

点滅しているためタイミングがとれず、残念ながらうまく写すことができませんでした。

このネオン看板の文字は、何と・・・

「SEX SHOP」

となっていました。

公共の場なのに、こんなネオン看板を出すなんてけしからん!!!と私は憤慨し、ひとまず見に行くことにしました。

すると・・・・

なんてことはない、、、、ただの勝負下着の店でした。

ショーウィンドウには、勝負下着を着用したマネキンが立っていただけでした。

もっとすごいものだと期待していた私だったので、これを見てとてもガッカリしました。

一生懸命に写真を撮っていた自分が恥ずかしくなり、私はその場を立ち去りました。

しばらく歩いていると、大通りの店の前で、老人がバイオリンを弾いていました。

私はバイオリンが大好きなので、しばらく老人が奏でるバイオリンの音色に聴き入っていました。

少数の通行人は足を止め、老人の前に置いてある帽子にお金を入れていました。

私もお金を入れました。

すると、老人は英語で「あなたのために一曲弾こう」と私が知らない曲を弾いてくれました。

折角なので私はお金を追加して、私の好きな「G線上のアリア」を弾いてもらおうと老人にリクエストしようと思いました。

が、英語で何というのか知らなかったので、私はハミングで伝えました。

すると老人は困った顔をして、「わからない」と言いました。

あ!!!!!そうだった!!!!!!

私は、音痴なのであった・・・・・・・・。

音楽の成績は、いつも「1」なのであった・・・・・。

老人は更にハモる私を無視し、私の知らない曲を勝手に弾いたのだった・・・・。

お金払って損した・・・。

しばらくすると、なぜか警察が3人現れて老人を連行していきました。

そこで演奏するのは、違法だったのかもしれません・・・。

その後、私はレストランで食事をして、ホテルに戻ったのでした。

翌日、ブラショフからシナイアという町に電車で行きました。

写真は、駅の風景。

旅は、つづく。

 

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。