こんにちは。「心を癒す」がテーマの画家ハナムラ・ヒロユキです。
立ち会い分娩での私の経験を載せました。
まったく参考にならないかもしれませんが、こんなふうだったということをお伝えします。
目次
長男の誕生
2013年に息子が生まれる
2013年5月10日午後2:30に、3352gの元気な男の子が生まれました。
こどもが生まれるまで父親としての実感はまったくありませんでしたが、子どもが生まれてからもこれといって父親としての実感が湧いてこなかったのが正直な気持ちです。
女の人は自分で子どもを産むから母親としての実感はあるかも出れませんが、男は最初は何だかよくわからないというのが殆どではないかと思います。
出産当日
5月10日の早朝、妻が
「破水した」
とのことで、すぐに産婦人科に電話してから荷物をまとめて出発しました。
入院直後の妻は陣痛もあまり大したことはないようで、出された朝食も普通に食べていました。
私は数時間後には、妻が陣痛の時に腰をマッサージしたりするという重労働が予想されるため、コンビニでデラックスなサンドイッチを2袋買って呑気に食べていました。
数時間後には陣痛がひどくなってきたようで、妻は横になったまま苦しんでいました。
私は妻から指定された腰の部位を、陣痛の周期とともにマッサージしていました。
「代われるものなら、代わってあげたい・・・」
と思いましたが、そんな非現実的なことを言っても仕方がありません。
それよりも、
「出産というのは、鼻の穴に500円玉やすいかを入れるぐらい痛いのだ」
と昔から言われてきたので(岐阜だけかもしれないけれど)、私の頭の中は自分の鼻の穴にスイカを入れているイメージでいっぱいでした。
「出産の痛みは男には耐えられないから死んでしまう」
ということもよく女の人から言われてきましたが、実際に子どもを産んだ男の人を見たことないのでというか、そんなことどうでもいいか。
陣痛がクライマックス
破水から5時間ほどが経過し、妻の陣痛もクライマックスに近づいてきました。
室内は妻の身体が冷えないようにとエアコンはオフになっていたので、蒸し暑くて汗が流れ出てきました。
以前私は陣痛の時の呼吸法を勉強していたというか少しかじったことがあるので、妻を呼吸で誘導しようと思いました。
が、その前に「自分の息は臭くないよな」と思って口に手を当てて確認していると、ドクターの合図で助産師さんたちが入ってきました。
謎の白衣
妻は分娩台にトランスフォームしたベッドに乗せられて、分娩室にバタバタと運び込まれて行きました。
分娩台に乗せられた妻の脚は、私にはマクドナルドのマークを思わせました。
事前に「立会い分娩します」とは伝えてあったものの、現場はドタバタでまったく説明がありませんでした。
私はいつ分娩室に入っていったらいいのだろう?と一人で悩んでいました。
ふと私が座っているソファーの上を見ると、妻から剥ぎ取られた毛布の上に医者の白衣が無造作に置いてありました。
私はこれを見て、おそらく医者が暑かったから脱ぎ忘れていったのだろうと思っていました。
時間が経つに連れもしかすると、
「これを着なさい」
ということではないか?という疑問が湧いてきました。
私は分娩に立ち会う時は、手術室でオペをする医者が着ている水色の服を想像していました。
もしこれが医者が脱ぎ忘れた白衣だったとしたら、これを着て分娩室に入っていったら
「あんた何様・・・?」
みたいな、とんだ場違い野郎になってしまう恐れがあるので非常に悩みました。
妻の心配よりも自分のことを心配していた私は
なんて小さい男なのだ・・・
と失望しながら、白衣を着るべきか着ないべきか悩み苦しんでいました。
するといきなり分娩室の扉が開き、助産師さんが
「はやく入ってきてください!!」
とちょっと怒った口調で言いました。
私は白衣を手に
「これ、着ればいいですか?」
と聞くと、
「そう、そう、そう!!」
と当たり前だろ!みたいな感じで答えてくれました。
私は白衣を着ると、クターになった気分で颯爽と分娩室に入りました。
分娩室へ
妻は、もがき苦しんでいました。
苦しそうな妻を見るとかわいそうで涙が出てきました。
ふと妻の両手を見ると、分娩台に繋がれたいきむ時に握り締める器具が犬を散歩するときに使うワイヤーが伸縮するリードに似ていたので、ちょっと面白かったのが正直な気持ちです。
妻はがんばっていきんでいました。
私にはトイレでいきんだ経験しかないので、それとは違うのかもしれないと思い気安く「がんばれ」とは言えませんでした。
妻の体力が持たず、最終的に鉗子分娩(かんしぶんべん)することになりました。
医者が手にしていた鉗子分娩に使う器具は、私にはまるで中世の拷問セットを近未来化したような不気味な形を思わせました。
妻の脚に掛けられたシーツの向こうでは、
こんなに引っぱって大丈夫なのか!?
というぐらい医者は引っぱっていて、
こんなにお腹を押して大丈夫なのか!?
というぐらいもう一人の医者はお腹を激しく圧迫しているのを見ると、
妻は壊れてしまうのではないか!?
これはまるで自動車整備工場ではないか!!
と心配になった反面、こんなにも頑丈な女だったのかと今後がちょっと怖くなりました。
こんなに鉗子でこどもの頭を挟んで引っ張ったら、コーンヘッズみたいな頭になってしまうのではないかということも心配でした。
なかなか出て来れない赤ちゃんと、なかなか産めずに苦しむ妻を思うとかわいそうで仕方がありませんでしたが、私にできることといえば「ただただ励ますこと」だけでした。
長男誕生!
しばらくすると医者が
「生まれましたよ!元気な男の子です!!」
と言って、妻の股の辺りからいきなり赤ちゃんが両手で抱えられて登場しました。
性別は生まれるまで聞かないでおいたので、「そうか!男の子か!!」と知ることができた喜びと、元気な子だったので安心しました。
もう一つの印象は、いきなり出てきてビックリしたのと、私に似てないような感じだったのでお父さんは私なのか?というちょっとした不安があったのでした。。。が、お母さんとも似てないなとも思いました。
まあ、生まれたばかりですから。
分娩台で処置を受けている妻と少し離れたテーブルの上で検査を受けている赤ちゃんとの間を、私はデジカメを手に駅とホテルをピストン運行するシャトルバスのように行ったり来たりしていました。
やっと出産が終わり、妻は安堵感をあらわにしていましたが、私はまるで町内の神輿で、担がずに神輿に繋がっている綱だけ持って歩きまわっている人のような、役立たず感が心を支配していました。
でも妻は
「助けてくれて、ありがとう」
と言ってくれたので、とても嬉しく思いました。
初めての立ち会い分娩で学んだこと
- 自分の存在は、居ないよりは居たほうが良かったと思うこと
- 居てもほとんど役に立ってなかったけど、ちょっと役に立てたこと
- 出産という凄まじさを目の当たりにできたこと
- 女は強いということ
長女の誕生
2014年10月9日午前3時、二人目の長女が生まれました。
2870gの元気な女の子でした。
夜中に陣痛
夜中の1時半ごろに妻が
「陣痛が来たかも」
とのことで実家の母に来てもらい、眠っている長男を任せて私と妻は車で病院へ。
陣痛室に入り最初は平気な顔して笑っていた妻でしたが、陣痛の痛みが激しくなり間隔が短くなってきました。
暗い病院の廊下には、妻の叫び声が響いていました。
まるでホラー映画のようでした。
陣痛室にはもう一人の初産の妊婦さんがいたらしいのですが、おそらく妻の叫び声を聞いて恐怖のドン底に突き落とされる気分だったかもしれません。
分娩室へ
私は長男の立ち会い分娩の経験があるので陣痛で苦しむ妻の腰をマッサージしようとしたら、すぐさま分娩室に運ばれて行ってしまいました。
数分後、私は助産師さんに呼ばれて分娩室に入り、立ち会い分娩に参加しました。
立ち会い分娩は今回が2回目で思うのですが、この時ほど男は役に立たないということを実感するときはありません。
例えると、カレーに添える福神漬けのような存在です。
あってもいいけど、なくてもいい
という感じです。
私は、立派な福神漬けの役割を果たそうと妻を応援すること30分。
長女が誕生!
スルッと生まれてきました。
2時間の超安産でした。
妻の出血が結構あり、縫合処置も痛そうだったのでとてもかわいそうでしたが、よくがんばって産んでくれました。
ありがとう、お疲れ様でした。
かわいい女の子が生まれました。
私も少しは役に立ったかなと思い、これで福神漬けからラッキョウにランクが上がったかもしれないと自負しております。
これからも夫婦で楽しい子育てをしていこうと思いました。
実家のお母さんお父さん、いつもありがとう!いつも感謝しています。
2回目の立ち会い分娩で学んだこと
- やっぱり男は役に立っているようで立ってないんじゃないかという疑いをもったこと
- 男はカレーに添えられた福神漬けと同じような存在
- 女は強い
追伸
長男の育児でヒーヒー言っていた私ですが、次は女の子で「女の子はおとなしくて楽だよ~」と言われたのを鵜呑みにして安心していた私はバカでした。
長男より活発でよく動くし、よく泣きました。
こっちも泣きたいくらいのときが何度もありました。
育児は修行だなぁ・・・と実感しました。
でも、こどもの笑顔や遊ぶ姿を眺めていると
「こんな幸せなときは、ほかにはないよなぁ~」
と思います。
子どもを生んでくれた妻にも、バックアップしてくれる両親にも、子どもを預かってくれる保育園の先生たちにも、そのほか関わってくれるみんなにも本当に感謝しています。
「みんな、ありがとうございます」