エルサルバドルの思い出・その1

エルサルバドルに着任

2006年1月、エルサルバドル空手道連盟に着任しました。

写真は左から、やる気のない私、元世界チャンピオンの古橋さん、スポーツ省のお姉さん、現地で空手指導に当たる男前の前川さん、JICA調整員。

この日は、省庁に挨拶まわりに行きました。

歓迎会

練習後に、空手道場の仲間たちが、レストランで歓迎会をしてくれました。

写真の左手前から、奥に4人目のピンク色のユニフォームに料理を持っているのが私、ではなくて、その手前の紺色のTシャツを着た兄ちゃんが私です。

その手前が、古橋さん。右手前が、前川さん。

私の前にある黄色いビールサーバーから、私はじゃんじゃん自分のグラスにビールを注いで飲んでいました。

練習後に、たくさんビールが飲めることほど、幸せなことはありません。

料理は、チュラスコというバーベキューみたいなものや、フライドポテトなどがメインでした。

が、私はひたすらビールを飲んでいた記憶があります。

私は忘れかけたスペイン語で、隣にいるエルサルバドル人のエドウィン君と話をしていましたが、酔いからくる難聴で、やはり半分ぐらい話がわかりませんでした。

ごめんなさい。

古橋さんは、意味もなくはしゃいでいて、とても楽しそうでした。

前川さんは、流暢なスペイン語を操り、セクシーさをアピールしていました。

結構な量を食べました。

私の前にある黄色いビールサーバーは空になっています。

ほとんど私が飲んだ・・・。

しかし、そのあと追加でまたサーバーが来たけど、私はあまり飲めませんでした。

飲みすぎ、飲みすぎ・・・・。

写真の通り、私はたくさんアルコールを摂取しても、ほとんど顔色は変わりません。

この歓迎会のあと、どこかに行った記憶があるのですが、どこに行ったか思い出せません。

あの世ではないことは確かです。

楽しい思い出に残る一日でした。

街を散策

左から、私、古橋さん、前川さん。

エルサルバドルの首都サンサルバドルの街は、どことなくアメリカのフロリダに似てるかな、という感じでした。

大きな看板があちらこちらに目立っていました。

この写真は、横断歩道を渡っているのですが、途上国はどこも交通事情やマナーがよくないので、気をつけないと車に轢かれます。

写真の3人は、中央集権的計画経済と社会主義国家の在りかたについて、楽しく語り合っています。

ウソです。

そんな難しいことは、話していません。

サイン、コサイン、タンジェントについて、語り合っています。

これも、ウソです。

何を話しているんでしょう?

さっぱりわかりません。

はい、次の写真へ。

みんながっくり落ち込んで歩いている様子ですが、多分、練習後だったので疲れているのだと思います。

右奥のようなバスが、あちこちで走っています。

乗り心地悪し。

市場に行ったときの写真です。

左が前川さんで、右が古橋さん(顔がビー・バップ・ハイスクールになってます)

日本にいるときのように、リュックサックを後ろに背負っていると、ナイフで切られて貴重品を抜かれることがあるので注意が必要です。

市場の靴屋さんは、こんな感じに山積みになって売られています。

ここで売られているほとんどの靴は、ブランド品を真似たコピー商品です。

古橋さんは、ニセモノのプーマの靴を買って喜んでいました。

道は広く、アメリカみたいな感じです。

ウェンディーズやそのほか日本にもあるファストフード店が、あちこちにありました。

写真の道路の真ん中に立っているのは、古橋さんです。

彼はこのあと、自動車に轢かれることになります。

うそうそ・・・。

治安が悪いところにある教会の前で、スナップショット!

左が古橋さんで、右が私。

いつも一緒なので、まるで夫婦のようです。

どっちが夫ですか?って、そんなことはどうでもいいです。

まわりの怖そうなオジサンたちが、こちらをジロジロ見てました。

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。