想像と違った海外での空手指導

こんにちは。ハナムラ・ヒロユキです。

私はボリビア、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーで空手の指導をしました。

赴任前の想像の世界と現実の世界はかなり違う者でした。

そのことについて書いていきます。

目次

 

ボリビアでの空手指導

ボリビアには2000年から2002年までの2年間、主に国家警察学校で空手の指導をしました。

 

赴任前に私が想像していた世界は、こんな感じでした。

 

現地では教官として空手を指導するため、みんなからは「センセイ!」と呼ばれて尊敬の眼差しで接してくれる。

人気と話題で持ち切りで、ヘタしたら現地の雑誌に取り上げられるかもしれないとワクワクした。

 

 

それで着任当時はどうだったかというと、こんな感じでした。

 

 

中国か韓国からの交換留学生だと間違われ、ここに何を勉強しに来たのかよく聞かれた。

 

着任初日から人種差別的な敵意剥き出しの軽蔑の眼差しで、足元から顔まで舐められるように凝視された。

 

日本の国際協力機関からやってきたので、私の技術ではなくどんな物資を寄付してくれるのか大いに期待された。

 

空手を知らない人が想像以上に多かった。

 

空手よりテコンドーのほうが人気があった。

 

誰も「センセイ!」などと呼んではくれなかった。

 

「センセイ」という言葉自体も現地の人たちは知らなかった。

 

私は教官だったので上から目線でちょっと偉そうに接していましたが、2年間ずっと学生たちは友達みたいな感じでため口で接してくれました。

 

 

以上のような感じで、想像と現実はまったく違いました。

 

赴任前研修でボリビアに行ったことがある講師が

「ボリビアでは空手はすごい人気だから活動しやすいよ」

と言った言葉を鵜呑みにしたので、地元雑誌とかに載るかも!と思ったりしていましたが、とんでもない誤解でありました。。。

 

着任当時の私は、こんなに敵意がむき出しの人たちを相手に空手を教えられるのかとても不安でした。

 

正直言って理想とのギャップが激しかったので、泣きそうになりました。

 

最初のうち学生たちは、この東洋人をつぶしてやろう!みたいな感じで挑戦してきましたが、1年も経つとお互いに仲良く楽しく授業をすすめることができるようになりました。

 

やっぱりお互いをよく知って理解し合うことが大切だなと思いました。

 

ボリビアでは高い理想を打ち砕かれて一から這い上がってきた感があるので、精神的にとても強くなった気がします。

 

とってもいい経験でした。

 

 

ラオスでの空手指導

ラオスには3か月間赴任しました。

 

任務は、東南アジア大会に向けてのナショナルチームへの指導。

 

実際に現地に行ってみたら出場選手は2人しかいなかったので、ナショナルチームというかナショナルコンビでした。

 

ボリビアが厳しかっただけに覚悟してラオスに乗り込みました。

 

が、まったくそんな厳しさはありませんでした。

 

ケイさんという空手が強くて日本語も上手なアシスタントが本当に親切によく助けてくれました。

 

 

道場に行った初日、私はビックリしました。

 

大人も子供もみんな尊敬の眼差しで私を見つめているのです。

 

夢って叶うんだ・・・って、思いました。

 

ラオスでは3か月間ほぼ毎日、道場が終わるとケイさんと一緒にクービエンという大衆酒場に行って飲んで食ってしゃべっていたので、体重が一気に71㎏から80㎏を超えてしまいました。

 

ラオスでは本当に申し訳ないぐらい「センセイ」を堪能させてもらいました。

 

ラオスの人たちって、本当に親切でやさしい人たちばかりでした。

 

 

スリランカでの空手指導

スリランカは約1か月間、元日本ナショナルチームの針生泰さんと一緒に赴任しました。

 

現地には近藤如巨先生がすでに指導しておられて、私たちはアシスタントというか練習台として活動しました。

 

ここでもスリランカ・ナショナルチームの強化コーチとして指導しましたが、近藤先生がよく指導していることもあってみんな礼儀正しくて心地良く指導ができました。

 

毎日滅茶苦茶辛いカレーを食べるのと、蛇を握らされるというものはつらい体験でしたが、スムーズに指導ができて楽しかったです。

 

あと、暑いスリランカで空調がない密閉された体育館で練習した時は、暑さで倒れるかと思いました。

 

道場の床から頭を出している釘も危ないので、何とかしてほしかったです。

 

激辛カレーの口直しに飲む、ジンジャービアという滅茶苦茶甘いショウガジュースも味にギャップがあり過ぎて思い出深いです。

 

辛くて甘くて暑い経験ができました。

 

針生さんからもたくさんの技術と指導法を教わりました。

 

 

エルサルバドルでの空手指導

エルサルバドルには約一ヶ月間、和道会の形世界チャンピオンの古橋秀鷹さんと一緒に行きました。

 

現地では、前川修さんが指導に当たっていて、そのアシスタントとして赴任しました。

 

ここではエルサルバドルの和道会空手道場を巡回指導しました。

 

ここでもみんな尊敬の眼差しで、とっても順調に指導ができました。

 

練習中に古橋さんが足の骨を折って手術したので、介護の大変さも身に染みてわかりました。

 

キン肉マンに出てくる車椅子に乗ったラーメンマンを押すブロッケンジュニアの気持ちがよくわかるような気がしました。

 

前川さんが丁寧に親切にあれこれ教えてくれて、あちこち連れて行ってくれたので、エルサルバドルを満喫して帰ることができました。

 

 

フィジーでの空手指導

フィジーには半年間、フィジー空手道連盟で道場への巡回指導を行いました。

 

ここでも「センセイ」としてみんながヨイショしてくれたので、心地よく指導ができました。

 

フィジー人は体が大きく筋肉質の人が多いので、道場にはマイクタイソン級の選手がゴロゴロいました。

 

エルサルバドルでの古橋さん骨折事件があったので、フィジーではあまりすすんで組手はしませんでした。

 

とっても不思議なのですが、フィジー人は体が大きい割にアルコールにすごく弱いので、フィジー人とお酒を飲みに行ったことはありません。

 

なので、道場が終わると街灯が少ない暗い砂利道を一人で歩いて帰り、家でフィジーの2大ビールであるフィジービターフィジーゴールドを飲みながら星を眺めたりヤモリが虫を捕らえるのを観察していました。

 

すごく暇だったんですね。

 

みんなに愛されて、フィジーで海外での空手指導のキャリアを終えました。

 

キャリアって呼べるほどでもないけど。。。

 

あと現地のスポーツ雑誌に載りました。

夢って叶うんだ・・・って、思いました。

 

 

指導するうえで大切なこと

海外でも日本でも私が大切だと思うことは、

 

楽しく指導する

 

です。

 

昔の日本の空手みたいに延々と基本練習をするのもいいかもしれませんが、相手に興味を抱かせるように指導するということがプロとしては大切なことではないかと思いました。

 

あと指導者もいろんな武道を経験すると教わる立場になるので、教わり方を学べます。

 

考え方もすごく柔軟になると思います。

 

ラオスで仲良くしてもらった中達也先生はそんな素敵な人だったので、とても勉強になりました。

 

この方、空手家なのにとっても爽やかでカッコいいんです!

 

是非、映画も見てください!

 

私のモットーは

「ユーモラスに楽しく興味深く教える」

です。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

フリーランスの画家として活動しています。 愛知大学卒業後、青年海外協力隊で南米ボリビアの首都ラ・パスの国家警察学校で空手に当たる。現地で絵を描く楽しさを知り、帰国後独学で技法を学ぶ。その後、創作活動をして個展を開催する傍ら、ラオス、スリランカ、エルサルバドル、フィジーに空手の指導に当たる。今までの経験を創作に活かし「明るく、楽しく、やさしい絵」をモットーに元気に活動中。